他責にしても自責にしても何も変わらない説



「人のせいにするな!」って叱られたことって1度はありますよね。「他責にするな。自責にせよ。」みたいな格言もよく聞きます。ただ、その言葉を信じて色々自分のせいにして考えてきたのですが、実際上手くいったことがあんまりなくて。これってひょっとすると自責にしても辛いだけで、幸せなことなんてないのかもしれません。では、僕たちは一体、何に責任を求めたら良いのでしょうか。

 

 

【他責にすると….】

いわずもがな他責にしても何も変わりません。これはもう何百冊の本に書かれているかわからないぐらい当たり前のことですね。

例えば、人が来ない飲食店。この料理の味がわからない”客”の舌が悪い、接客している”バイト”の愛想が悪いなど。努力して自分が変わらなくて良いので、思いつく限り指摘しとけば良いのです。しかも、難癖を付けようと思えば、湯水のごとく思い浮かぶでしょう。大して考えずに、なおかつ努力をしなくて良いので、非常に楽です。

ただ、これは気をつけている方もたくさんいらっしゃると思います。

 

【自責にすると…】

他責はやらないようにして、自責を心掛けている方って結構いますよね。ただ、自責にすると自分さえ変わればと強く思い込み、どうしようもないことも自分のせいにしてしまうこともあると思います。少しでも周りに悪意のある人がいれば、いくら自責にして自分が変わり続けても、思った変化はずっと起こらないでしょう。

例えば、先ほどの人が来ない飲食店。自分の作る料理さえもっと美味しくなれば繁盛する、一流のホテルで修行してきたら満足度が上がるなどが該当します。もちろん、その想いが結果に結びつくことがあります。しかし、それでの過程で精神的に相当追い込まれていくと思います。そして、全てを自責にしているので、他の問題もたくさん集まってくるでしょう。

ちょっと話はズレますが、以前テレビ番組で予備校教師の林修先生がおっしゃっていたこんな言葉あります。

「努力は裏切らない、という言葉は不適切です。正しい場所で、正しい方向を向いて、十分な量なされた努力は裏切らない、が正しいんです。」

 

個人的にはその通りだと思います。自責は自分の努力を指すことが多いと思いますが、そこに囚われてしまうと努力すること自体が目的になることがあります。それだと、”正しい方向”を向かなくなるので、改善というゴールからはどんどん遠ざかっていきます。

 

では、正しい方向にするためには、何に目を向けるべきなのでしょうか。



【仕組みの責任にするべき】

その答えは仕組みだと思っています。誰もが責任を問われるのと嫌な気持ちになりますよね。プレッシャーを感じてしまったり、なんとも言えない罪悪感が生まれたり。

ただ、仕組みが悪いということにすれば、誰のせいでもないけど誰もが関わる関心が生まれます。

飲食店で人が来ない理由を自分のせいか他人のせいかでは何も上手くいかないのです。お客さんから味の感想が聞ける”仕組み”をどう作るか。どうすれば家族や友人を誘ってきてくれるのか。ニュアンスは少し変わってしまいますが、共通の敵を仕組みにしてしまうのです。敵の敵は友という理論で、意見も出やすくなるのではないでしょうか。

 

【編集後記】

責任というと、辞任という責任の取り方などがありますが、やめてどうなるんだろうと思ってしまいます。責任って、所在を追求し始めると擦り付け合いになっていくイメージなので、♠Kが言ってるように、人ではなく問題が起きてしまった仕組みが悪いという捉え方がいいと私も思います。