障がい者支援学級や障がい者支援学校は本当に必要なのか

 

ãéããèãå¥å¸¸èãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 



最近、知り合いと教育関係の話をする機会が多くあり、障がい者支援学級や障がい者支援学校の話をすることがありました。私が通っていた小学校・中学校には、障がい者支援学級があり、接点が多くあったのですが、他の人は接する機会もなく、接し方がわからないなどの話も出ていて、驚きました。

多くの人は、そもそも接点が少ないことから、障がい者と関わる機会ができた時に「課題を解く前にそもそも課題の中身自体がわからない」という状態になり、拒絶という対応を取ることが多いでしょう。

これは仕方がないことだと思います。人間の本能として、未知の存在に対しては防衛本能のようなことが働くのは自然なことです。ただ、私としては「課題を解く前にそもそも課題の中身自体がわからない」という状況が好きではなく、学校教育の仕組みが根源になっているのではないかという仮説の下、どうしたらいいか考えてみました。

 

※個人的な意見や経験による記事です。気分を害する可能性がありますので、ご了承ください。

 

 

障がい者とは】

 

そもそも障がい者は世の中に複数いることをご存知でしょうか。大きく身体障害・知的障害・精神障害発達障害を含む)その他の心身の機能の障がいと分かれており、障害および社会的障壁によって継続的に日常生活や社会生活に相当な制限を受ける状態にある人のことが障がい者と呼ばれています。また、障がいの重さによってレベル分けもされています。

 

現状、いわゆる健常者と障がい者が混ざって学べる学校はほぼありません。健常者のみの学校か、障がい者支援学級がある共存している学校、障がい者のみの障がい者支援学級の3種類に分かれています。

障がい者支援学級がある学校でも、その名の通りクラスが分けられており、一緒に勉強をしたりすることはありません。要するに、障がい者の方々と関わる機会ってほとんどない状態なんです。この垣根をなくしたら、どのようなメリット・デメリットがあるか、考えてみました。

 

【垣根をなくすメリット】




垣根をなくすことで、まずは関わる機会が嫌でも生まれます。そうすることで、どのように接するべきなのかを考える機会が生まれ、障がい者に対する差別や未知の存在という印象は軽減される可能性が高まります。

 

自分とは違う人との接し方を子供のころから学ぶことができますし、助け合う精神というものも醸成されるのかなと思っています。昔ながらの近所付き合いなどもなくなり、個々で生きていくような人や家庭がある中で、助け合いという意識はどんどんなくなっていっていると思います。ハンデを抱えている人と過ごすことで、相手の気持ちになって考えるということがより当たり前になるとも思います。





【垣根をなくすことのデメリット】

 

デメリットとしては、複数挙げられます。1つ目は、教員への負担が大きくなることです。障がいの重さにもよりますが、障がい者は1人に対して大人が1人つかないと面倒が見れないということもあります。そうなると、健常者と障がい者が入り混じったクラスでは、40人の生徒に対して1人の先生では成り立たなくなる可能性があり、各授業や担任が複数人必要になり得ます。全生徒1対1で見れる環境であれば、問題はないかもしれませんが、教員への負担は大きくなってきます。

 

2つ目に挙げられるのは、自然競争になってしまうということです。先述の通り、障がい者は身体や知的、精神に何かしらの制限を持っています。要するに、健常者との自然競争になった際にもともとハンデがある状態になってしまいます。特別扱いをするべきとは思いませんが、自然競争の場になってしまうことで、就職などでも同じ土俵スタートなどになると障がい者にとっては結構難しい環境になってしまう可能性も高くなってしまいます。

 

これから、介護の問題も出てくることからデメリットの方が、大きく感じられるのではないかと感じています。



【小さく接点を作っていくことから始めよう】

 

記事を書きながら改めて考えを整理していると、今の教育現場も私の学級・学校撤廃も極論過ぎてよくないなと思いました。今は、バッサリ分けてしまっている状況なので、バッサリいくのではなく、グラデーションをつけて分けていければいいのかなと思いました。例えば、給食の時間は一緒にするとか、学童などの時間では垣根をなくして同じ空間にするといったところでしょうか。現状だと、どのくらいの重さの障がい者まで同じ空間にして問題がないかということもあまりわかっていないのではと思うので、そのような線引きをするにしても上記のスモールスタートがいい気がしています。

小さいところから接点を作ることで、「課題を解く前にそもそも課題の中身自体がわからない」ということがなくなり、接し方を知ることでもっと多くの人にとってハッピーな社会になるのかなと思いました。



【編集を終えて】

わからないからこそ遠ざける。わからないからこそ拒絶する。この記事を編集しながら、無意識でやってしまっていたのだと反省しました。世の中の仕組みができるだけ効率動かすことを目的に、”考えなければならないこと”に蓋をしてきた結果、今の環境が出来上がっているのかもしれませんね。昔からの当たり前が当たり前じゃないのだと、改めて気づかされました。